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暇つぶしに読んでためになる世界中の雑学を集めています。


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「水戸黄門」といえば、徳川光圀の諸国漫遊記で有名ですが、この「黄門」とは、中納言の別称なのです。

朝廷の官制はもとは唐の律令制を参考に定められました。その律令制のなかで、門下省という役所の次官を「黄門侍郎」といいます。

中納言は太政官の次官にあたり、役職が黄門侍郎に相当するので、中納言光圀公のことを「黄門様」とよんだわけです。

水戸藩の二代目藩主ですが、諸国をまわったりしてません。幕府の封建制度では、エライ人がわずかなお供でうろうろできるシステムではなかったのです。

功績は、文武の奨励、検地や藩主の知行制の整備などいろいろありますが、有名なものに「大日本史」の編纂があります。江戸の藩邸に彰考館(しょうこうかん)という学問所をつくり、栗山潜鋒(せんぽう)や三宅観瀾(かんらん)などの学者を集め、編纂事業にあたらせました。

その史官のなかに佐々木助三郎という人がいました。また、水戸藩の御小姓組(おこしょうぐみ)に渥美格之進という人がいました。助さんと格さんですね。

この二人は、大日本史編纂の資料を集めて各地をまわったそうですが、そのあたりが黄門様の諸国漫遊記のネタになっているのかも知れません。
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はじめは「武蔵」ではなく、「無三四」と書いていました。父が、「無二斎」、つまり天下に二人といないという意味の名をなのったので、父が無二なら自分は無三四といったところでしょうか。

ずいぶん人をくった名前ですね。

吉川英治の小説や、そのマンガ版である「バガボンド」では、武蔵の幼名を武蔵(たけぞう)としていますが、実際は「七之助」という名前でした。13歳で最初の武芸試合をして相手を倒しています。

宮本武蔵が生きていた17世紀前半は、関が原の戦いや大坂の陣など、戦乱が収まっていない世の中で、武芸に秀でたものは諸大名から引っ張りだこでした。また武芸者自身も、少しでも自分を高く売ろうと自己アピールしながら諸国を歩いていました。武蔵もそのひとりです。

武蔵も自己アピールのために「無三四」と名乗ったのかも知れません。美作国(みまさかのくに)吉野郡讃母庄(さものしょう)、現在の岡山県を故郷とし、各地を巡り歩いているうちに、音から「無三四」が「武蔵」になったのでしょう。字が変わった時期ははっきりとはわかっていません。
昔は、芝居小屋の表正面に、一座の主な役者8人の絵を描いて掲げていました。

まず、「書き出し」からはじまって「二枚目」、「三枚目」、「中軸(なかじく)」、「敵役(かたきやく)」、「実敵(じつがたき)」、「実悪(じつあく)」、最後が「座頭(ざがしら)」となっていました。

「二枚目」には、男役で人気のある美男子役の役者が描かれることになっていました。「三枚目」はこっけいな役どころの脇役が描かれていました。

このことから転じて、男前の役者を「二枚目」、こっけいな道化役の役者を「三枚目」と呼ぶようになり、一般的にも、「あの人は二枚目ですね」とか「私のような三枚目が、、」とか使われるようになりました。

ちなみに、はじめのころは、劇団の座長を「立役(たちやく)」、次に偉い人を「二枚目」、3番目に偉い人を「三枚目」と呼んでいたのですが、徐々に変わって役柄から、男性の主人公を演じる役者を「立役」、色男を「二枚目」、道化役が「三枚目」、老人に扮する役者を「老役(ふけやく)」、女に扮する役者を「女形(おやま)」という風になりました。

この「女形」も、顔見世興行のときはやぐらの下に4枚の絵看板を掲げていたそうです。
牛肉を食べる習慣は古くからあったものでなく、文明開化のころからです。それ以前には、大型動物でいうと、猪宍(いのしし、イノシシの肉。宍は肉の異体字。)、鹿宍(かのしし、シカの肉)、カモシカの肉、馬肉などは食べられていたらしいですが、牛は貴重な労働力なのであまり食べなかったようです。

ところが、明治の文明開化のころ、牛鍋が流行します。なぜかステーキやローストビーフでなく「牛鍋」です。ねぎと一緒に薄い鍋にしょうゆ味で煮立てたものです。

もともと外国の食文化である牛肉食を、日本人好みの鍋料理にアレンジして大流行し、ついには日本を代表する料理の一つになりました。

この「牛鍋」がスキヤキとよばれるようになったのは、諸説あります。

江戸時代の料理、「鋤焼き」からという説があります。鴨やカモシカの肉を、古い鋤(すき)の上で焼いて食べる料理に由来しているという説です。

また、肉や魚を薄く切ったものを「剥き身(すきみ)」ともいいますが、この剥き身を鍋で焼くから「剥焼き(すきやき)」という説もあります。

なんにせよ、新し物好きでアレンジ上手な、日本人らしい発想から生まれた「すき焼き」が一般に浸透して、代表的な料理になるのも当然ですね。
昔、禅僧が修行中に飢えと寒さをしのぐために温めた石(温石)を懐にいれていた(懐石)ことから、禅家では隠語で夜食のことを「懐石」といいました。

この言葉が、茶道における簡素な食事をさすようになり、お茶を味わうための軽い食事を「懐石料理」というようになりました。

形式としては、日本の正式な食事作法にのっとり、はじめにご飯に箸をつけることになっています。

献立は、いわゆる一汁二菜(三菜のこともある)の簡素なもので、茶の作法にしたがって食事はすすめられます。

寄り合いの席や宴会のことを「会席」といいます。江戸時代に連歌や俳諧の席で食事を楽しんだことからはじまったそうです。器や膳の形式に決まりはなく、比較的豪華な料理が出されます。

特徴としては、会席は酒の席なので、ご飯ではなくお酒が主体となります。

最初の膳に「つき出し」など酒の肴がだされ、箸の上に酒盃が伏せられています。箸をとるまえに酒を受けるわけです。

献立はその席によっていろいろですが、たいていは酒にあう料理がだされ最後にご飯と味噌汁、となります。
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